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概要


日本の驚くべき脱獄


1936年、青森県。囚人である白鳥由栄(しらとり・よしえ)はうんざりしていました。

彼は、やってもいない殺人を自白させられ、青森刑務所に収容されたのです。

そして毎晩、刑務官から殴られるなどの拷問を受けていました。さらに、検察官からは死刑を求刑されていたのですー”出る頃合いだな”、と彼は思いました。

ですが、青森刑務所からの脱獄は簡単なものではありませんでした。ですが、白鳥にとって失うものは何もありません。午前5時半、彼は動きました。彼は、数ヶ月に渡って刑務官の動きを観察していたので、パトロールの時間に15分間だけ間があることを知っていました。



初めての脱獄:青森刑務所

誰も見ていないことを確認すると、彼は風呂場から持ち出していたワイヤーを取り出し、鍵穴を開け始めました。このワイヤーは元々、風呂桶の周りに巻かれていたものです。

冬の寒さのため彼の手は硬くなっていましたが、数分後、鍵を開けることに成功しました。そうして、独房の扉が開いたのです。


ですが、これで終わりではありません。まだ他にも鍵のかかったドアがあるからです。

刑務官が戻ってくるまでの時間は、残り数分。無駄にする時間は一切ありません。

幸運にも、彼は刑務所の外に出ることができました。ですが、彼はまだ逃げ切ったわけではありません。刑務官達が探せる範囲内にいるので、アラームが鳴ればすぐに捕まってしまうでしょう。


午前5時45分、刑務官が戻ってきて白鳥の独房を覗きました。彼らが見たものは、布団の中で眠る白鳥でした。ですが、それは白鳥ではなく、布団の下にあったのは、何枚にも重ねた床板だったのです。刑務官たちがその真実に気づいたのは、翌朝のことでした。

そこで、ようやくアラームが鳴ったのです。その時までに、白鳥は遠くまで逃げていました。



2度目の脱獄:秋田刑務所

脱獄の魔術師と呼ばれた白鳥由栄にとって、これはただの始まりに過ぎません。

3日後、彼は病院からものを盗もうとしたところで捕まりました。こうして、また彼は刑務所に戻ってきたのです。この時、終身刑が言い渡されました。彼は、妻と娘という大切な家族と会うことができなくなったのです。


6年後である1942年、第二次世界大戦の最中、白鳥は秋田市にある秋田刑務所に移管されました。ここでの刑務官からの扱いは、青森よりも酷いものでした。

ここの刑務官たちは、青森での脱獄について聞いており、2度とそのようなことがないように、と思っていました。白鳥は、殴られる上に、労働も過剰にさせられ、寒い冬でも硬いコンクリートの床の上に寝せられていました。そして、独房に幽閉される時間も通常より長かったのです。この独房は特別に作られたもので、とても小さく、とても天井が高いのです。壁はツルツルした銅板で覆われ、掴むことは不可能でした。また、日中でも外の光はほぼ入ってこず、光が入ってくるのは天井にあるとても小さな仕切りからのみでした。また、白鳥は常に手錠をされていました。


刑務官たちから行われる日常的な虐待の中で、刑務官長である小林は、白鳥を哀れに思っていました。小林は決して白鳥に指を触れませんでしたし、時々彼が大丈夫かを確認していました。これによって、白鳥の生活は少しだけ耐えられるものになっていたでしょう。6月15日の夜まで彼が意志を持ち続けることができたのもー。


その晩は、嵐でした。白鳥は独房で過ごしていました。深夜、刑務官の1人が独房の中を覗くと、その目を疑いました。白鳥が消えていたのです。ただ1つ、手錠だけを残してー。

一体、何があったのでしょうか?

先ず、白鳥は、手錠外しの名人でした。彼は何かの道具を使って鍵を外す方法にしました。青森で使ったワイヤのような道具は見つけることができませんでした。もしかしたら、小林が持ってきたものの中にあったのかもしれませんが、これは不明です。


手錠を外した後、白鳥は手のひらと足の裏を銅板に置いて、壁を登り始めました。白鳥は、登る達人でもあったのです、トカゲのようにー。

天井までたどり着くと、白鳥は天窓が塞がれていることに気が付きました。ですが、窓の周りの木枠がガタガタ言い出しました。そこで、夜毎、刑務官が見ていない間に、この枠を少しづつ緩めていったのです。その後、元に戻り、手錠をして、怪しまれないようにしていました。

数ヶ月後、窓はついに緩くなりました。そこからは、日を待ちましたー嵐の夜を待ったのです。刑務官が天井の足音に気が付かないように。そうして、彼は再び脱獄をしたのです。



踏みにじられた希望

3ヶ月後の9月18日、刑務官長の小林が家にいた時、ドアをノックする音がしました。

驚いたことに、そこには逃亡者である白鳥がいたのです。髪はボサボサの状態でした。そして、彼はお願いを伝えたのです。驚いた小林は彼を家に入れ、食事を与えました。

そして、彼の話を聞いたのです。


白鳥は刑務所にいることについては気にしていませんでした。彼が2度も脱獄した理由は、刑務官たちからの壮絶な虐待に苦しんでいたためだ、と説明したのです。小林だけが、敬意を持って彼に接してくれた唯一の人でした。そのため、彼は恩を感じ、彼の計画に招き入れることにしたのです。


彼の計画とは・・・・法務省に自らの身柄を渡し、日本の刑務所のシステムがいかに腐敗し、野蛮なのかを主張するのです。作り替える必要がある、と。その運動の中で、民事訴訟を通して自分の法的自由を得ていこうとしたのです。彼の家族と一緒にいるためには、これしか現実的な方法はない、と。これは、非常に理想的な計画ですし、その難しさもよくわかっていました。

そのために、小林が必要だったのです。白鳥の信頼性を強めてくれるためにも。小林だけが、彼をちゃんと扱ってくれる唯一の刑務官だったことから、きっと彼なら正しいことをしてくれる、と白鳥は感じていました。


数分後、白鳥がトイレを使っている間に、小林は警察に電話をしましたー。

白鳥は刑務所に戻ることとなり、2度と刑務官を信じないと誓いました。



3度目の脱獄:網走刑務所

この2度の脱獄に対して、法廷は終身刑に3年間刑期を付け加えました。

白鳥は、天気の暖かい東京刑務所に送られることを要求しました。彼はもう寒い北にある刑務所には耐えられなかったのです。

その要求は拒否され、北海道にある悪名高い網走刑務所に移されることになりました。

日本の最北にある刑務所です。この刑務所からこれまでに脱獄できた人は1人もいません。


時は1943年、網走の寒さは耐えがたいものがありました。房の温度は氷点下です。受刑者が食事を受け取ると、味噌汁や醤油が凍ってしまうほどでした。

この気温の中で、手錠をされた白鳥は夏服で房に入れられ、すぐに寒さで痺れを感じるようになりました。刑務官たちは、彼を何度も殴りました。


怒った白鳥は、網走刑務所からの脱獄を誓うのでした。

彼は、手錠の鎖を引きちぎりました。白鳥は、登る能力以外にも、超人的な能力を持っていました。秋田刑務所では、彼は手錠を壊しました。それを戻す必要がなかったからです。

今の状況では、それは賢いやり方ではありません。刑務官たちは、彼の解錠能力、トカゲのような登る能力、そして超人的な強さを持っていることを知っています。なので、彼を逃れられないような房に入れたのです。


房の天井には外れることのほぼないスチールがついています。格子を外したとしても、窓は彼の体よりも小さいので出ることができません。

また、強い鉄で作られた手錠を、後ろ手にされていました。そして、足枷もされており、立つことができませんでした。どちらも20kgで、鍵穴もありません。それらを外すには、数週間に一度訪れる2人の金属の専門家が2時間かけて行う過程を経なくてはならないのです。その時だけ、白鳥はお風呂に入ることができました。

数週間にわたる身動きの取れない束縛によってできた傷には、うじがはびこり、入浴が必要だったのです。


すでに寒いにも関わらず、まだ最も寒い時期ではありません。彼がどんな強さを持っていようと、これからやってくる寒さの前には無力なのです。

刑務官たちは、白鳥の食事を半分の量にしていました。白鳥にとって、これは十分すぎる仕打ちでした。冬が来る頃には、彼は自分の運命に屈したのです。


毎日、刑務官は独房のドアから食事を入れるので、手足を拘束されている白鳥はそれを犬のように這いつくばって食べなくてはなりませんでした。また、寝ている時も痛みと不快感を抱えていました。網走刑務所での生活は、間違いなく拷問でした。

白鳥はなんとか冬を乗り切り、春がやって来ました。彼は、その強さを取り戻していきます。月日が経ち、何も起こらないように見えました。


8月のある日、刑務官は詰所で書類仕事をしていた時、天井で何か引きずるような音を聞きました。何かはわかりませんでしたが、囚人をチェックすることにしました。

脱出不可能な白鳥の独房をチェックすると、そこには布団と囚人服が折り畳まれて置いてありました。特別に作られた20kgの手錠と足枷もその横に置いてあったのです。ですが、白鳥だけはそこにいませんでしたー。


アラームがすぐに鳴らされ、捜索隊が出ましたが、白鳥は本当に消えてしまったようでした。彼は一体どうやってここを抜け出したのでしょうかー?

準備は6ヶ月前に始まりました。この時、彼は強さもスタミナもありません。彼にあったのは、時間と忍耐だけでした。


毎日、刑務官が食事を入れます。彼が食べ物を床でなんとか食べている間、彼は少しの味噌汁を部屋の隅に残しておきました。毎晩、味噌汁を窓のスチール枠にかけました。彼は、手錠と足枷を軽く叩いていました。


彼の意図は、味噌汁に含まれる塩分がスチール枠のネジやボルトを酸化させ、いつかは腐食したり、緩くなることでした。1ヶ月後、この作戦は功を奏し、最初のネジが取れました。数ヶ月の間に、ネジやボルトが緩みました。春の終わりまでに、彼は手錠や足枷を完全に外すことができるようになりました。


ここで問題になったのは、ドアの開く部分の大きさが彼の体よりも小さいと言うことでした。これは、刑務官たちが不測の事態に備えて考えたものでした。しかし、彼らが考えていなかったのは、白鳥の4つ目の能力ー関節を思うように外す、というものです。

こうして、白鳥は芋虫のようにドアの開く部分から出ていくことができたのです。

彼は割れた窓から屋根へとよじ登り、消えました。


白鳥は、3つの刑務所から脱獄しました。ですが、ここは北海道。ここから行く先には、冷たい、雪山が待っています。刑務官たちも、”寒さを凌げたとしても、山には熊がいるから”と笑いました。

1人だけ希望を持っている人がいましたー白鳥の妻です。ですが、彼女は心配をしていました。たとえ白鳥が生きていたとしても、警察が継続的に見張っているため、家族のもとには帰ってこれないからです。彼女は必死に、そして内緒で、戦争で日本が負けることを祈りました。アメリカが国を統治することになれば、誰もが白鳥のことを忘れるでしょうから。



逃亡生活

1年後である1945年8月、彼女の願いは叶いました。

アメリカが日本の刑務所システムを引き取り、様々なことを変えていきました。そして、白鳥探しは重要事項ではなくなりました。

ですが疑問は残りますー彼はどこにいるのでしょうか?生きているのでしょうか?

答えはイエスです。彼は生きて、孤独に暮らしていました。北海道にある、廃山となった鉱山を家として、木の実やベリー類、野生のウサギやアライグマを食べて暮らしていたのです。熊を観察し、川での蟹の捕まえ方も学んでいました。


2年の孤独な暮らしの後、彼は山を下り、近くの村へ行きました。そこで目にしたものは、驚くべきものでした。道は英語で書かれたサインで溢れており、戦争を鼓舞するようなポスター、旗などは姿を消していました。もっとおかしなことに、若い日本人女性がアメリカ兵と手を繋いで歩いていたのです。

ー一体、何が起きているんだ?

白鳥は新聞を掴み、ページをめくりました。そこで彼は初めて広島と長崎の原爆について知ったのです。日本がその前の年に降伏したことを、彼は信じられませんでした。


彼は、隠れている必要はないように感じました。それまでの隠遁生活に別れを告げ、網走から札幌へと50日かけて向かいました。この時点で、彼は空腹でした。

そこで彼はよく熟れたトマトを近くの農園で見つけましたーこれは、大きな間違いだったのです。農家の人は彼を見つけ、彼をよく知られた地元の泥棒と勘違いしました。そうして、これは掴みあいへと発展し、農夫の腹部に刃が刺さってしまったのです。結果、農夫は亡くなってしまいました。


警察が、悪名高い白鳥由栄を捕まえたことを知るのに時間はかかりませんでした。数回に渡る脱獄と、今回の農夫殺害ー白鳥は自衛を主張しましたがーの罪によって、白鳥は札幌地方裁判所から死刑の判決を下されました。



4度目の脱獄:札幌刑務所

1947年、彼は死刑執行を待つために、札幌刑務所へ送られました。脱獄しないようにするために、24時間監視下に置かれました。6名の武装した刑務官が、彼を見るために配置されたのです。

独房自体も、強化ドア・天井・格子・窓など、網走以上に堅固なものとなりました。開く部分はどれもより小さくなり、白鳥の頭も入らない大きさでした。


白鳥も年を取り、この状態での脱獄の確率はほぼない、と思われていました。

看守達も、死刑を控えた白鳥の顔に絶望の色が浮かんでいるのを感じていたのです。

ですが、念のために、毎晩白鳥の部屋を確認しました。お風呂に入っている時も、天井、天窓、開く部分についての確認を怠りませんでした。

月日が経ち、冬がやってきました。白鳥はより、弱々しくなりました。元気がなくなり、ベッドで過ごすようになりました。看守に命令されても、起きるのを拒否するようになったのですーある朝、看守が痺れを切らして独房に入ってくるまでは。

看守たちが布団をめくると、そこには誰もいませんでした。


こんなことは不可能です。何が起きたのでしょうか?

ー刑務所側は、窓や天窓に注意を払うあまりに、床を強化することを疎かにしてしまっていたのです。

皮肉にもこれは、彼にとって最も簡単かつ単純な脱獄でした。彼がしなくてはならなかったことは、床板のボルトを外しー簡単ではありませんが、彼は経験がありましたー、適当な食器と味噌汁椀を使い、床下を掘り進んだのです。

1ヶ月以上かかりました。これを隠すことが可能だった理由は、先ず刑務官達がこのようなことを想像していなかったことと、掘った後に毎晩床板を元に戻していたからです。

6人の刑務官達は、昼夜問わずしっかりと見張っていると思っていました。ですが、布団の下では、穴が掘り続けられていったのです。


そして、その日青森の脱獄の時と同じように、布団の下には、いくつもの床板が置かれていました。こうして彼は、4回脱獄をしたのです。



ある警察官との出会い

ここから、話はとんでもないものになっていきます。捕まっては逃げ、というサイクルはこれで終わりになりますが。


1年後の1948年、40代となった白鳥は疲れていました。

ある日、札幌の琴似という場所で、彼が休憩をとっていると、偶然警察官がタバコを吸うために彼の隣に座りました。警察官は彼が白鳥とは知りませんでしたが、会話を始めました。白鳥は、もちろん慎重です。疑われないように、会話を終わらせようとしました。


ですが突然、警察官が予想もしない行動にでたのですー少なくとも、白鳥にとっては。

警察官は、タバコを一本取り出して、白鳥に差し出しました。白鳥は驚きました。この当時の日本では、タバコは高価な嗜好品でした。親切心でタバコを勧められたことに、白鳥は涙ぐみました。


彼が法の名の下に刑務官達に虐待されてきたこと、刑務官長の小林ですら彼を裏切ったこと。そして、会ったばかりの警察官が偏見なく、親切にしてくれているー。

白鳥はタバコを吸いながら、警察官に自分が白鳥由栄であることを話すのを止められませんでした。そして、昨年札幌刑務所から脱獄したことを。


不思議なことに、彼はほっとしていました。そして、彼は、その後起きうることに対しても、受け止めていました。小林に裏切られた後、決して警察官を信頼していなかったのですが、知らない人からの親切な行いが、彼を変えました。


もちろん、白鳥は逮捕されました。でも、この時は、何かが違ったのです。

もしかしたら、彼自身が自首したからかもしれません。もしくは、日本の法システムが変わろうとしていたのかもしれません。

札幌高等裁判所は、白鳥の窮状に対して同情的になりました。そして、農夫の死は自己防衛のためだった、などの彼の過去の主張のいくつかは認められました。

また、彼の4回の脱獄は、刑務官からの虐待に苦しんでいたにも関わらず、1人の刑務官に対しても怪我や殺人などを行っていないことについても明記されました。


高裁は殺人罪を却下し、死刑を取り消しました。そして、懲役20年が命じられました。さらに、天候が暖かい東京刑務所への移動願いを受け入れたのです。

彼は、欲したものを与えられました。東京の府中刑務所に送られ、そこでは刑務官達が彼をきちんと扱ってくれました。


白鳥は、とても不思議な気分でした。そこには有名な脱獄の魔術師が逃げられないような、慎重な警備が敷かれていました。ですが、白鳥はもうそんな気はありませんでした。

彼が戦い続けてきた、刑務官からのひどい扱いや、死刑、そして寒い気温ーそれらはもうないのです。彼は平和の中にいました。もう逃げる必要はないのです。


彼は、ついに自分の罰を受け入れ、残りの刑期を模範囚として過ごしました。

14年後である1961年、彼は仮釈放されました。彼は本当に、自由の身となったのです。

青森に戻って、娘に会うことを決めました。この時点で彼に残されたたった1人の家族に。


白鳥由栄は伝説となり、日本のアンチヒーローとなりました。



■引用元



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海外の反応



・この男性の本当の隠された技術は、彼の隠された技術の量!多すぎないか!??





・人々は馬鹿だな。彼は、やってもない罪に問われたんでしょ。なんてこった。





・20年・・・そして、彼の犯した罪はトマト泥棒のみ・・・。





・どれだけの人が無実の罪で投獄されてるか、想像してみてよ。





・囚人に脱獄されたって、上司に報告する警備の人たち、恥ずかしかっただろうなあ。





・彼は、アニメの主人公みたいだな。能力が凄すぎる。





・正直言って、これアニメ映画だと思ってた。現実的じゃない!!





・刑務所:彼に味噌汁を与えよう

白鳥:ニヤリ





・まじか、この男は間違いなく普通の人間じゃない。地球上の人間にこんな才能があるなんて・・・。





・学ぶこと:知らない人からタバコをもらうことで、人生は変わる





・”彼は、関節を自由に脱臼させることができたのだ”ーてかさ、この時点で彼は逃げられるから。





・警察官:捕まえて、また刑務所に入れよう

白鳥:またか・・・。





・彼の奥さんや娘さんの気持ちを考えると辛い・・・ただ待ち続け・・・年を重ねる・・・。





・彼の特別な能力を、刑務所に入らないようにするために使うべきだった。





・この男性は、ただ妻や娘と一緒にいたかっただけなんだろうなあ。





・日本の刑務所からの脱獄の方法1:味噌汁を使う



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