概要
素晴らしい桶樽作りー未来へ伝統をつなぐために
昔の日本で日常的に使われていた伝統的な道具、桶樽。木で作られたシンプルな道具に見えますが、そこには知恵と技術が込められているのです。
桶と樽について
寿司桶ー日本のレストランには寿司桶があります。これは、寿司のための米を用意する最終ステップに使われます。杉材は、水分をゆっくり吸い込むため、お米を素晴らしい食感に、そして美味しくするのです。
樽は、醸造物を保存するのに適しています。気温の変化にほとんど左右されないためです。
これらの製造方法は、室町時代(1336年〜1573年)の間に広がったと言われています。当時、酒が醤油と共に作られていました。優れた水の吸収性、そして独特なすっきりした香りから、酒の味を美味しくすると言われています。
桶作り
徳島県阿南市では、伝統的桶樽作りを次世代に引き継ぐために若い世代が頑張っています。桶樽職人の原田啓司さん、30歳です。師匠は、河野忠昭さん、83歳。原田さんは6年の修行後独立し、司製樽を立ち上げました。地元や杉や竹を中心に桶や樽を製作しています。
先ずは、”木取り”という作業から始まります。木材を切って準備をしていきます。
側板と柾目、もしくは板目を用意します。柾目(木目の薄い層)は水分をゆっくり吸収し、板目(木目の濃い層)は非常に水分への耐性があります。
柾目で作られ、竹もしくは銅の輪が付けられた物を桶といいます。柾目は、水分をゆっくり吸収するからです。逆に、板目で作られた蓋つきの製品は、樽とされます。これは、素晴らしい水への耐性を持っています。
次の作業は正直といいます。木を薄く削っていきます。
木槌や、様々な形の刃物・・・原田さんは、職人から譲り受けた様々な道具を持っています。銑という道具で、木を円形に削ります。
続飯では、炊いた米を置いて、伸ばしていきます。本組という作業では、餅状になった先ほどの米を木目に塗りつけていきます。
そして、輪状の中の金属に木を敷き詰めていきます。輪状に置いた木の表面にヤスリをかけます。それを、尻拭いと言います。
木の内側は、複数の木が合わさっているので、高さにでごぼこがあります。それを丸鉋という道具を使って削っていきます。削ったことによって、滑らかになりました。
次は、外側を削る鉋を使って円の外側を削っていきます。
外側に箍を2本嵌めます。しっかりとくっつけるために、箍の上に木を置いて、木槌で打っていきます。
木取りを行い、赤身と白太を切り出します。白太は木の年輪の外側で、成長を続けている部分、赤身は年輪の内側にある養分を蓄えている部分で、赤味のかかった色です。
罫引きを行います。輪の内側に線を入れていきます。槍鉋を使って、先ほどの線に沿ってぐり溝を作っていきます。葛飾北斎の富嶽三十六景「尾州不二見原」では、このぐり溝をする職人の様子が描かれています。
次に底板を丸く切り出します。底板を輪の中に入れ、木の棒を使って、中からはめ込んでいきます。底部分にも木槌を打ち、固定します。
完成です。
古い桶の修理
今度は、壊れてしまった約60年前の桶を修理します。原田さんは、桶樽を作るだけではなく、緩くなってしまった竹の箍を付け替えることもしています。
古来からの方法で竹の箍を替えていきます。真竹は、箍に最高の素材です。原田さんは、自分自身で竹林に入り、良い竹を切り出します。
表面を滑らかにするために、竹を丁寧に削ります。削って、細くした竹で箍を作ります。竹を手前に引き寄せて、くるくるっと大きな円状にしていきます。
こうして作った箍を、桶に嵌めて木槌で打っていきます。
■引用元
海外の反応
・この製品、本当に使えるの??水が漏れないなんて、すごい。釘とか使ってないのに。
・僕、日本の工芸のシンプルかつ美しさを尊敬している。
・これ見てたら、とても感情が高ぶってしまった・・・素晴らしい・・・。
・すごすぎる技術!
・とても興味深い作業と製品!ありがとう。
・とても見ていて楽しかった。日本の木工は、とても美しいよね。
・おおっ、そしてお腹が空いた。お寿司・・・。
・60年(笑)。その間、どれだけプラスチックが増えたんだろう・・・。人間がプラスチックカップやらを”必要”としたから・・・。
・めっちゃ楽しんだ!
・死にかけの芸術を生かし続ける職人を見ることほど満足できることはない。
・職人芸が際立ってるね。
・日本の伝統的工芸が大好き!!
・こうやって、木で物を作るんだね!驚きと尊敬だよ!!この人から学びたい!
・日本の職人芸には、いつも驚きます。
・彼が桶の輪を作るために竹の皮で包む方法にちょっと驚いた。俺も同じ方法をケーブルコードを収納するのに使ってるよ。
ひとこと
職人芸見ていて気持ちよくなるのは万国共通ですね
これ面白いですよ
SPONSORED LINK
コメント
一度、鏡開きの日本酒を頂いた事があるけど、杉?の香りがとても鮮烈だったな。
洋酒に触発されたのかもしれないけど、嬉しい選択肢が増えたと思う。
樽屋さんも需要が増えれば伝統を維持できるし。
最後のギターは気持ち悪いわ。エレキだから何でも鳴るし鉛筆なんかで作らないでほしい。草間彌生の絵みたいでゾワゾワしたわ。
ヨーロッパが大航海時代に進めた理由の一つが
ワインなどを作る樽の製造技術が、造船技術に転用されていったからなんだよ。
逆に、日本の隣には樽を作れない国があった。
甕しかない。キムチを作るのも酒を造るのも甕だけ
まともな船が作れないおかげで元寇で半島製の船だけは大打撃
タガは金属だし、釘でつないだり、タールや色々なもので目を詰めたり国によって細かな技法は違う。ほとんどの国では日本のように木の目を理解して、吸水した時に目が詰まって水が漏れないってことまで計算して作ってはいない。
錆びて膨らむとそこからヒビが入る。
樽酒の美味さを知る爺さん達に昭和の頃、流行った技
今の中国製割り箸じゃ危険だし風味も出ないだろうね
そういう事実に目を伏せ
「桶を含むすべての日本の工芸の起源は韓国!」
「船に沈む細工をして日本を救った!永久に感謝しろニダ!」
海外にまで発信し嘘吐き三昧
ほんとしめつしろって思うわ
シーマン村本並みに不快
水に浸かった木箱でも、中は浸水しない。
↑これ。
地味だけど、開国時にはとっくに工業化してた欧州にはなかった、日本の当たり前の技術の一つ。
文明的に遅れてはいたかもしれないが、大衆にも及ぶ芸術文化と、それに伴う技術と技巧は世界をうならせていいたよ?
ジャポニズム以前でも漆器や磁器は海外でも珍重されていたしね。
幼少の頃に亡くなったので記憶はないが、今も屋根裏に母が嫁い入りで持ってきた桶が一つしまってある
もう使用できる状態ではないけど、捨てられない。
コメントする