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概要


トヨタはどれほど大きいのか?


トヨタは、世界で最も知られたブランドであり、買い求めやすい価格と信頼性で有名です。実際、僕の友人は彼の古いカローラのエンジンオイルを数年間替えていません。彼はただ忘れていただけだそうですが、車は問題なく走っていたそうです。


TV番組トップギアでは、スタッフがトヨタのハイラックスを破壊しようとしました。木にぶつける、水に沈める、空から落とす、巨大な金属ボールをぶつける、燃やす、ビルの屋上に置いたままビルを倒壊させる・・・など。ですが、どれの後でも変わらず車は動いたのです。


トヨタの統計によれば、この20年で販売した車のうち80%が今も現役で道路を走っているそうです。トヨタがとても良く作られているのは明らかです。そして、世界中でもよく見かけます。


ですが、一体どのようにこの会社は始まり、どんなストーリーが背景にあるのでしょうか?彼らどれほど大きく、トヨタについてあまり知られていないことは何なのか?

見ていきましょう。



始まりは機織機

全ては、最も慎ましい形で始まりました。ある息子が、母の生活を少しでも良くしようとしたのです。


ストーリーは、1867年に湖西市で生まれた豊田佐吉と共に始まります。成長していく中で、彼は自己啓発本に影響を受けました。その本には、機織り機の発明者について描かれていました


ある日父の大工仕事から家に戻ると、佐吉は母が機織りを懸命にしていることに気が付き、その瞬間に、母をより楽にするのは自動で動く機械だ、と心に決めました。


彼は、全ての時間をそのプロジェクトに捧げました。1898年、彼は機織り機の特許を提出しました。これは、1馬力のオイルモーターが使われた、日本における初めての自動織機だったのです。その性能と高品質の綿を作り出すことから、この自動織機は瞬く間に評判となりました。

豊田は株式会社を設立しましたが、決して順風満帆ではありませんでした。1910年、彼は日本が大恐慌に陥った時に解任されています。


彼は怒りを吹き飛ばすために、アメリカへ・ヨーロッパへ旅行をしました。そこで彼は、発達したテクノロジーに驚きました。特にその中で、自動車が彼の目を引きました。

彼は日本に戻ることを決め、息子の喜一郎と共に新しい会社を始めます。新しい会社は豊田紡織と名付けられましたが、彼の気持ちは自動車に向いていました。



自動車産業へ

1929年、彼は自動織機の権利を100万円で売りました。そのお金を息子に与え、日本独自の自動車を作るために使わせたのです。


当初、喜一郎は半信半疑でしたが、アメリカに製造過程を見に渡航した後には、これはいける、と確信に変わりました。


時を同じくして、日本政府は日本車を作る起業家たちに対して報奨金を与えていました。喜一郎は、これを良いきっかけと捉え、織物業から自動車産業にシフトを始めたのです。


1932年、2つの試作車が発表されました。新しい豊田紡織は車の生産に全力を注いで行きました。最初の車は1935年に発表され、1937年には自動車を担当していた部門が、豊田自動車という会社になりました。


豊田の強みは、フォードやGMなどの輸入車よりも安いことでした。初めて発売した車は大成功となったのです。元々、創設者の名前を取って、TOYODA(トヨダ)という名前で売られていましたが、その後TOYOTA(トヨタ)という名前に変わりました。

豊田というのは、豊作の田んぼ、という意味で、考えてみると車の製造には向いていないのです。


1930年代後半、喜一郎は研究所を設立しました。彼はこう話していますー”私は、誰かが大変な思いをして切り開いてきた道のりを引き継ぐという、とても簡単なこの状況からいつか抜け出したい。私たちは、これまで西欧に頼っていた。もしも日本の産業を本当に独立させたいのなら、それを磨かなくてはならない”。


1930年代に様々な工場を拡大させた後、1940年代の第二次世界大戦によって、会社は倒産寸前まで追い込まれました。それがきっかけで、喜一郎は辞職することとなります。


その後数年は非常に大変でしたが、不思議なねじれが起こりました。トヨタを救ったのは、朝鮮戦争だったのです。朝鮮戦争の初めの数ヶ月間で、アメリカはトヨタに5,000台以上の車を注文しました。それによって、瀕死寸前だった会社は立ち直ったのです。


1950年代、マネジャーたちは、アメリカの労働者が日本の労働者の9倍生産性が高いことに気づきました。彼らは、理由は人ではなく、工程だということが分かったのです。

この10年間で、トヨタは合理化によって生産性を高めることに注力しました。



海外進出の失敗

生産性が高まった1955年に、彼らはグローバル市場にシフトしました。

当時の最大市場であるアメリカを訪れてすぐに、トヨタの幹部は、いくつもの小さなヨーロッパの車が、大きなアメリカ車と一緒に置かれていることに気が付きます。

彼は、問題を発見しました。それらは高価すぎたのです。それを受けて、トヨタは買い求めやすい価格の車を作り、アメリカ市場に売り込みました。これは、トヨペットクラウンという名前でした。


大ヒット間違いなしだと、トヨタの期待は最高潮に達しましたが、これは完全な失敗に終わりました。売れたのは、たったの300台だけだったのです。

最大の敗因は、トヨタがアメリカの道路について勘違いしていたこと。日本の道では良いのですが、アメリカの高速道路を走るとオーバーヒートしてパワーを失い、また燃費が悪いのです。トヨタはまた振り出しに戻りました。



快進撃の始まり

これをバネとして頑張った結果が、トヨタの完全な品質管理です。この完全な工程は、継続的な進化をもたらしました。その後、トヨタは世界に向けて輸出をするようになりました。この輸出戦略は、現地現物と呼ばれ、”現地に行って事実を見て、正しい決断をする”ということです。


海外市場に対する多大な研究を経て、トヨタ車は海外で成功を始めました。

1966年、最も人気な車であるトヨタカローラが発売されました。


1970年代の石油危機で、ガソリンを大切にするためにより小さな車が必要とされました。アメリカの車会社が小さな車を作ろうとした時、費用削減をしようとしたので、トヨタの質には追いつくことができませんでした。この頃から、トヨタの躍進は続きます。1982年のカムリーやスープラ、MR2、そしてプリウスへのヒットが続いていくのです。


1989年、トヨタは姉妹ブランドとしてレクサスを作り、上のクラスのマーケットと進んでいきます。数十年の間にラインナップは増え、今では100の違ったモデルのトヨタ車が世界で売られています。



トヨタの大きさとは

トヨタは人気ブランドで、どこへ行っても見かけます。果たして、その大きさはどれくらいなのでしょうか?


2015年、トヨタは世界一の車会社でしたが、それ以降、トップをフォルクスワーゲンに奪われています。昨年のトヨタの生産台数は、10,200,000台でしたが、これはフォルクスワーゲンの10,300,000台よりもわずかに少ないのです。第3位はGMの9,800,000台となっています。


昨年、トヨタの収益は2480億ドル、利益は203億ドルでした。彼らの総資産は、4190億ドルです。対して、フォルクスワーゲンの昨年の収益は1230億ドル、利益は22億ドルでした。GMの収益は1660億ドル、利益は90億ドルです。


トヨタは時価総額において日本最大の会社であり、2番手であるソフトバンクの約2倍あります。トヨタは、ダイハツ、レクサス、日野を有しています。また、スバル株の16.7%、イスズ株の6%を持っており、そして驚くべきことに、トヨタは2016年までにテスラ株10%を持っていたのです。ですが、それは既に売却しています。


また、日本のトヨタは協豊会グループを持ち、その下には334の会社が名を連ねています。また、ビデオゲーム開発のREDエンターテイメントも傘下です。

車だけでなく、トヨタは三菱航空機株式会社の一部オーナーでもあります。この会社は、国内用ジェット機を来年内に作る予定です。


トヨタは、ロシア、トルコ、ポーランド、ブラジル、フランス、カナダ、イギリス、そしてアメリカなど27ヶ国に製造工場を持っています。従業員数は349,000人。


トヨタは、収益の面において地球上で9番目に大きい会社です。また、彼らは教育、環境保護、災害救助などの慈善事業にも力を注いでいます。例えば、トヨタUSA財団は、科学、テクノロジーや数学などの教育を支援しています。Nニューヨーク市フードバンクは、トヨタを彼らの運営機能を高めるために使っています。トヨタは、人型ロボットを2004年に作っていますし、ファイナンシャルサービスも行なっています。



トヨタについての驚くべき6つの事実

最後に、トヨタについての驚くべき6つの事実をお伝えします。


6: 1966年からトヨタはカローラを平均37秒に1台の早さで販売してきました

今はもっと早くなり、15秒に1台となっています。販売されたカローラ(44,000,000台)を並べると地球5周分となります。また、これらのカローラは、地球と太陽を50回往復する分の長さとなります。カローラは、1997年以来最も売れた車種なのです。


5:トヨタは、車業界における国際企業の中で最もたくさんの特許を持っています

その数は1,500以上。毎年、彼らは90億ドルを研究開発に使っています。研究だけのために、毎時間100万ドルを使っているのです。

これは、約100年前の喜一郎の哲学に立ち返っているのです。この研究の成果の1つが全個体電池の車への利用で、2020年までに実装をするとしています。そして、トヨタミライと呼ばれる水素自動車も開発されました。20年に渡る研究により、今では水素自動車ができたのです。


4: トヨタはコカコーラやマクドナルドのように、世界最大の国際企業の1つです

おそらく100ヶ国においてトップなのではないでしょうか。トヨタは170以上の国に進出しています。


3:彼らは、自動操作システムの先駆者です

1970年代以来、工場ではロボットを使っています。そして今、トヨタはロボットを医療や高齢者のサポートなど、動きが限られている人々の手助け用として使っています。


2: プリウスは、最も売れているハイブリッド車です

1997年から600万台を売り上げています。


1: 2017年、ビジネス誌Fortuneはトヨタを世界の最も尊敬される会社の1つに3年連続で選びました

また、ナンバーワン自動車会社にも3年連続で選出されています。


豊田自動織機は今もあるのだろうか?と思う方がいらっしゃるかもしれません。彼らは現在、世界最大のフォークリフト製造会社です。また、トヨタは織物業界においても、自動織機やミシンなどを作り出しています。会社のルーツが今も生きていることは、とても素晴らしいことですね。


一生懸命働く母を見て、彼女を楽にするために考えたアイディアから全ては始まりました。そして、それは世界で類を見ない、最大の自動車会社へと成長していったのです。

1つの閃きがあなたをどこへ導くかは、本当に分かりませんね。



■引用元



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海外の反応


・トヨタは俺らも買える素晴らしい車を作ってる。高価すぎないアパートを建ててくれるグローバル会社があればいいのになあ。トヨタみたいにさ。





・日本の車は、信頼できるし、経済的。ドイツ車は、スピードが出るのと豪華さが売り。アメ車は、巨大で四角い形。





・アフリカ旅行の後、トヨタがアフリカでのたくさんのシェアを獲得していると証言できる。特に、ハイラックス4×4トラックが圧倒的に多かった。どこへ行っても見かけたよ。対照的に、GMはディーラーシップをこの地域で閉めたんだ。





・トヨタ大好き。トヨタのノートPC、携帯、冷蔵庫、オーブン、レンジが欲しい。





・彼は彼の母を助けたんだから、成功するに値する。





・トヨタは、ただの車の会社じゃない。僕の国においては、別名”信頼”だよ。僕たちがいかに日本車、特にトヨタを愛しているか想像できないと思う。めちゃくちゃ高い税金(300%くらい)がかかってるけど、それもみんな買っちゃうんだ。長寿国日本、長寿トヨタ。バングラデシュより愛を込めて。





・日本の仕事は、倫理的で誠実だからだよ。彼らは詐欺とかしないからね・・・そういうのは、彼らの文化にないんだよ。





・私はアメリカ人だけど、正直言ってトヨタは疑いもなく、最高の車を作っているよ。フォード(ダメ)、ドッジ(ダメ)、シェブロン(もっとダメ)に乗ってたけど・・・。もうトヨタ(めっちゃ最高)以外乗らない。





・日本のものは世界で最高。インドからたくさんの尊敬を込めて。





・このストーリーから学ぶもの:お母さんを大切にしよう。





・僕はトヨタ5台持ってて、どれも数十万キロ走ったけど、全く故障は無かった。中古で売った唯一のブランドだよ。





・トヨタが高品質だって、みんな知ってる!トヨタの車は世界一ィィィィィィイイ





・おおっ、ちょうどホンダからトヨタに乗り換えたところだ!やったね。





・トヨタは最高。





・豊田さんは、今彼の会社がこんなにも大きく、素晴らしくなっていることをどう見るんだろう・・・。





・トヨタの車製造過程は完璧。





・トヨタは素晴らしい会社だってことは認めるけど、プリウスは嫌いだ。





・こちらトヨタ乗り。フォルクスワーゲンの車を買う方が簡単なんだけど、トヨタの方がいいんだよね。





・トヨタ車欲しくなった・・・。



ひとこと


序盤の耐久テストやりすぎだろ(笑)


・僕はトヨタ5台持ってて、どれも数十万キロ走ったけど、全く故障は無かった。中古で売った唯一のブランドだよ。

日本車だと普通な気がしますが海外メーカーだと違うんですね
しかも、数十万キロ走った車が売れるんかい!

アメ車は、巨大で四角い形。

かわいそうだからもうちょっと優しい表現にして(笑)!


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