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概要


日本・近代化始まりの場所


どうして日本は世界でもトップレベルの高品質のものをを作り出すテクノロジーを持っているのでしょうか。


その理由を知るために、世界遺産になっている群馬県富岡市富岡製糸場にやって来ました。ここは、日本近代化発祥の町だと言われています。


製糸場はもう閉鎖されていますが、ここを見ることによって、日本がどうやって成長してきたかを知ることができます。日本の現在でのハイテク技術には目を見張るものがあります。新幹線にロボット、ハイテクトイレに自販機まで。ゲームやヘルスケアも世界トップですし、回転寿司の技術も面白いですよね。


そして、これらはすべて絹から始まったのです。



日本工業化の基礎・上武地域

群馬県最大の都市である高崎市から、下仁田、そして製糸場のある富岡までが上武地域と呼ばれ、日本の工業化の始まりの場所です。

製糸場は1987年に操業を停止し、2014年に世界遺産に認定されました。ここは、技術革新達成への強い思いが込められた場所です。


日本製の絹は有名で、西欧諸国にとても人気がありました。そして、既に絹生産の基盤を持つこの上武地域は絹の生産に最適な場所でした。



富岡製糸場

製糸場は状態良く保存されており、現在は一般に開放されています。機械は30年前に停止されました。

製糸場の中を見ていきましょう。工場内にはびっしりと大きな製糸用機械が並んでいます。

ここでは、1987年の操業停止まで、繭から糸を紡いでいたのです。


明治時代初期、日本は孤立した島国から、近代国家へと変貌を遂げました。政府は、フランスから絹を作るハイテク技術を学びました。そのノウハウをさらに発展させ、生絹を作る技術を働き手たちは身に付けて行ったのです。それはとても難しいもので、それによって出来上がった生絹は世界中から熱望されるものでした。


日本の絹は世界でも高級品でした。その後、工場での大量生産によって値段は手が届きやすいものとなりましたが、まだその品質を保っていました。日本はシルク工業を115年間引っ張ってきたのです。


製糸場にはヨーロッパから輸入されたハイテク機械が展示されています。これは日本の工業化、そして発展への渇望の象徴と言えるでしょう。



上武地域と蚕

次は蚕を紹介します。この生き物は、非常にデリケートで、卵から繭まで育てることはとても難しいです。ですが、日本はそれにとても長けているのです。


なぜここに製糸場が建てられたのでしょうか。先ず、横浜港に近いため、機械を動かすための石炭がありました。そして、綺麗な水と、荒船風穴のおかげで、蚕の卵を孵化させるのに適した涼しい気候があったからです。この風穴のおかげで、暑い夏の日も涼しい気温を保つことができました。


2014年に世界遺産に認定されて以来、群馬県にとって別の意味で蚕は大切な存在になっています。観光客向けに、蚕が戻ってきたのです!


あるお店では、蚕の形のチョコレートが売られていました。抹茶チョコで作られた葉っぱの上にクッキー・クリーム味の蚕が乗っていて、とてもリアルな形をしています。町で一番人気のお土産なんだとか。製糸場前の通りには、蚕のお菓子を売るお店がたくさん並んでいます。繭の形の最中の中にあんこが入ったお菓子などもありました。



高品質な富岡の絹

富岡の生絹は世界最高の品質で有名でした。私がネットでで10ドルで購入した絹と思われる衣類(実際は本物の絹ではありませんでした!!)と富岡で作られた絹を比べるとその違いにびっくりします。本物の絹は、触るととても滑らかで、美しいのです。

現在、富岡での絹の生産は限られていますが、その品質はいまだ高いままです。



文化の違いで失敗!?

富岡製糸場は創業当初、失敗寸前でした。それは、日本とフランス文化の違いからくるとんでもない勘違いが原因だったのです。


外国人がいない状況で工場が作られ、そこにフランス人が機械と赤ワインを持ってきました。ポール・ブリューナは現場のエンジニアでした。ある理由から、製糸場の働き手を集めることが困難となってしまします。その理由とは・・・。


日本の人々は、ポールたちをドラキュラだと勘違いしてしまいました。人々は、それまで赤ワインをグラスから飲む人を見たことがなかったので、赤い血に見えたのです。


そんな誤解から、工場での働き手がまったく集まりませんでした。ですが、日本の工場責任者が自身の14歳になる娘を働かせたことによって、誤解は急速に溶けて行きました。



レトロタウン・下仁田

富岡の近くにある下仁田は、長い間町の風景が変わっていないことから、レトロタウンと呼ばれています。製糸場が閉まって、地元の経済も縮小しました。残ったのは、数十年前の日本の風景です。この町を歩いてみると、昔の日本がどんなだったのかを見ることができます。


下仁田はソースとんかつが有名です。きよしや食堂というところで、下仁田かつどんランチをいただきました。店内も昔の風景のまま。かつどんはどんぶり飯の上にソース、かつが乗っています。とても美味しい!また、この地域はこんにゃくでも有名です。


今回の旅は、まるでタイムトリップのようでした。もしも現在の日本がどこで作られたのかに興味がある方は、上武シルクロードと富岡へ来てみてください。



■引用元



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海外の反応


・歴史の感じられる街って、素敵だよね。行ってみたいな。





・素晴らしい内容だった!勉強になったよ。





・ドラキュラって(笑)面白かった!





・来年の日本旅行のプランニングに役立つ情報、ありがとう!!





・これを見たら、ますます日本に行きたくなったよ!





・蚕かあ・・・すごく興味深い!





・日本では、いまも絹工業は世界トップ品質なのかしら??そして、今はどこに工場があるんだろう・・・!??誰か教えて!!





・日本への興味が増した!!





・日本の新しい一面を学べました。ありがとう。いつか日本へ行ってみたいです。





・日本の地域の文化、歴史の内側、そして美味しそうな食べ物!!どれも勉強になったよ。





・まじで、俺の中でこの地域が旅行先として急上昇した!絹のお土産が欲しいなあ。





・蚕、怖い・・・





・東京や京都以外の日本を知れて、良かった!





・初めて蚕見た!!!!(驚愕)





・うちの家族で虫がすっごい怖い人がいるから、蚕チョコレートは最高のいたずらになりそう(笑)





・かつが美味しそうだった・・・!



ひとこと


久しぶりに見た蚕のインパクトつよい


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