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概要


世界に誇る日本の技術 ー 小さな工場


車から電気製品まで、日本の工業製品は、その高性能さで有名です。そしてその製品の数々には小さな工場が作りだす部品が欠かせません。


日本にある工場の90%が、従業員数が30人未満です。こうした小さな工場は、技術のノウハウなどの宝物の宝庫です。今回は、日本の小さな工場に潜入して、その熟練技巧について紹介していきたいと思います。


小さな工場とは、一般的に従業員が30人未満の工場を指します。今回訪れた東京の南のエリアでは、従業員が10名以下の会社がいくつもあります。これらの工場の特長は、それぞれの分野に特化した職人がいること、そして部品を作っていることです。

日本の小さな工場の約半分は、金属加工の仕事をしています。


新幹線を支える精巧な技術

岩井誠さんは75歳。彼は、金属のロッドを1/100mm以内の誤差の範囲で削りあげることができます。すべての種類の金属においても、精度は正確です。


岩井さんの技術は、日本の新幹線のダンパー部分に使われています。岩井さんは、その部品において、10mmの金属パイプの内側の厚さを2.5mmまでに薄く削り、中の空洞内にねじ切りをしていくのです。


この精巧な技術が速い新幹線を支えているのです。



薄い金属板を曲げる技術

工場では、薄い金属の板を曲げていく、という技術を誇っています。この技術は、軽い部品からハイテク部品まで様々な用途で使われています。


三橋雅幸さんは、この道40年のベテランで、金属板を1/100mm以内の誤差で曲げることができます。型とあて金の間に金属の板を挟み、金属の棒を使って加工します。


力のかけ方が均等でないと、その金属が痛んでしまったり、歪んでしまったりする難しい作業です。ですが、三橋さんはこれを複雑な三次元の形に、しかも薄く仕上げていくのです。


日本のこうした技術力は、ハイテク製品に必要不可欠なものとなっています。例えば、日本の1994年に初めて打ち上げられたH2ロケットのノーズコーン部分じゃ、特別なアルミ合金が使われています。このアルミニウム合金は、加工が非常に難しいものでしたが、日本の驚くべき技術力によってこれを成し遂げたのです。



世界に誇る研磨技術

現在、日本の金属研磨技術は目を見張るものがあります。カップやスプーンなどを美しく磨き上げる技術は、世界中から注文が集まっています。


こちらの会社の社長である小林一夫さんは69歳。50年間研磨の仕事をしています。小林さんは、金属を鏡のように磨く名人です。2007年大企業に依頼され、ポータブル音楽プレイヤーにこの研磨を施しました。


このプレイヤーのステンレスケースは非常に薄くいものでした。表面を鏡のようにするために、1/1000mmの精度で磨き上げていきます。小林さんは力強くこう話します。


”仕事にプライドを持ち、日々精進していかなくてはならない”



日本の技術の歴史

日本の技術は、江戸時代の職人から始まり、明治維新を経て発展していきます。戦時中は小さな工場の職人たちも戦争に駆り出され、人手不足に苦しみましたが、戦争が終わり、工場も再開をしていきました。日本の自動車会社や電気商品の会社の多くは、この時代に小さな工場として商売を始めています。


1960年代までに日本ではTV、冷蔵庫、洗濯機などを求める人々が増え、大量生産が始まりました。それらの製品は、小さな工場の作る部品によって支えられていました。

工場で働く人の数はどんどん増えていきました。


ですが、1980年代に大企業が海外への工場移転を進めたために、小さな工場の数は減っていきます。1983年に900,000あった小さな工場の数は、現在その半分となっています。



不可能への挑戦

墨田区の岡野雅行さんは金属業において60年以上の経験を持つベテランです。彼は2003年に0.2mmの皮下注射を作成しました。これは不可能と考えられていたものです。とても細い針なので、まるで蚊に咬まれた時のように痛みを感じさせないのです。


注射針なので、ただ細いだけではだめで、先端からは薬液が出るだけの広さが必要です。なので、この注射針の開発はとても挑戦的なものでした。岡野さんはアイディアとテクニックを駆使して、500mmの薄さのステンレス板を使い針を作りました。注射液が出る部分も何度も失敗を繰り返しながら作り上げていきました。どれも新しい技術ではありませんでしたが、そのアイディア、活用方法は新しいチャレンジでした。


岡野さんの挑戦はとどまることなく、0.2mmの針に成功した後、0.18mmの針を製作しました。


”誰もやったことないことをやるのって、わくわくするよね”

”ローテクの技術をマスターしなくては、ハイテクの技術は得られない”

岡野さんは話します。

岡野さんの会社はNASAを含む、世界中の企業から注文が来ています。



工場同士のコラボレーション

自治体は、小さな工場を応援する施策を始めました。例えば、東京大田区では工場のビルを安い賃料で貸しています。ここには大きなリフトや商談室などが完備されています。ここでは場所を貸すだけではなく、小さな工場同士でのコラボレーションを行うのに一役買っています。



工場発のプロジェクト

2009年、東大阪市にあるいくつもの小さな工場が協力して、小さな衛星”まいど1号”を打ち上げました。


まいど1号に続けと、東京都葛飾区にある小さな工場があるプロジェクトを始めることを決めました。彼らのゴールは宇宙ではなく、海の底。彼らが進めているのは8,000mまで潜る深海調査機械・江戸っ子1号です。


2012年に開発が始まりました。このプロジェクトを始めたのは、杉野ゴム化学工業所社長の杉野行雄さん。様々な専門家・大学の研究者・他の3つの小さな工場と協力をしてこのプロジェクトを進めてきました。どの会社も小さいですが、それぞれの分野において優れたノウハウを持っています。


2012年10月に試作品でテストが行われましたが、この際は失敗に終わりました。

”非常に残念ですが、何が悪かったのかを徹底的に検証していきます”

杉野さんは話しました。


江戸っ子1号は、いくつかの小さな工場の技術が融合されたものです。

彼らの挑戦は続いていきます。



小さな工場の今後は

こうした小さな工場では、例えば青写真を持って行ったなら3日後にはその商品を完成させている、ということが言われます。これは、彼らの技術力を示した話です。


最近の経済の状態により、日本の小さな工場は生き残りの危機に陥っています。これは非常によくないことです。小さな工場の持つ柔軟性は、日本にとって絶対に必要な強みだからです。





■引用元



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海外の反応


・年々、政府は起業すること・商売を続けていくことを難しくしている。これは、世界の先進国どこでも起きていることだと思う。低成長なのはうなずけるよ。あああ!!(怒)





・熟練工の技は、工場の機械ができないことをしている!素晴らしい!!





・真の経済発展は、大企業でなく、小さな企業に支えられているんだ。これが真実だと思う!





・多くのものが日本で作られていることに驚いたよ。小さくて安いお土産物みたいなものですら、日本で作られてる。どうやって、価格を抑えてるんだろう??





・たぶん多くの人は気付いて以内と思うけど、これってよくないことだと思う。工場は機械の代わりに人間の技術に頼りきっている。これでは、未来がないよ。人間の技術は持続可能ではないからね。





・紹介されていた金属のお皿が欲しい・・・。どこで買えるんだろう?





・職人技は素晴らしいわ。だって、できた製品に心があるもの。





・小さな工場が閉まってしまったら、これらの技術や知識が失われてしまう・・・そう考えると、とても悲しいわ(涙)





・ロボットたちでは、とうてい太刀打ちできないな。





・人間は永遠には生きられない。でも、彼らのレガシーはロボットによって受け継がれる・・・と思う!





・感動したよ。こういう話は大好き。





・下町ロケットみたい!





・日本の技術力は、世界に多大な貢献をしてると思う。





・今の日本がたくさん作らなくてはいけないのは、最も重要で小さいもの=子供たち だと思うけどなあ・・・。





・この職人さんたちは、アイプロテクターを着けてないことにびっくりした!大丈夫なの??





・日本の、こういう所も魅力的だと思う。



ひとこと


風前の灯の技術なわけですが無くなったら自分がやるという人が出てくるのか、ただなくなるのか


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