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概要


3人の子どもたちが英語版ファイナルファンタジーⅤを作った方法


1990年代後半のある日、ミリアはアーバイン高校のコンピュータールームに足を踏み入れ、ファイナルファンタジーⅤをプレイしている男の子を見付けた。


これには2つ、いつもと違うところがあった。まず最初に、ファイナルファンタジーⅤは米国では通常発売されてないということ。1992年の英語版日本のゲームをプレイするためには、ROMをダウンロードして、最近インターネットで始まった非公式ファントランスレーション版をインストールしなければならないのだ。


ミリアはそのことについて知っていた―何故なら彼女がそれを製作する手伝いをしたからだ。


少年は、自分のクラスメイトのひとりがその一角を担っていることに酷く驚いた。「彼は私がそれに取り組んだということを全然知りませんでした」とミリア(仮名)は言う。「それをプレイしている人に出会うなんて驚きました」と。


20年後、ミリヤはファイナルファンタジーⅤの非公式英語版をプレイしたことがある人たちに会うことに慣れていた。もっとも、それが初ファントランスレーションビデオゲームというわけではなかったが―SDスナッチャーという1993年発売のMSXゲームがあった―しかしながら、最も影響力があるものであった。


これは多くの西洋人に、スクエアソフトの「ファイナルファンタジーⅢ」が3番目のファイナルファンタジーでなかったことを教え、さらに重要なことに、ビデオゲーム産業の中で、ファンがいかに大きな役割を果たしているかということを示した。


スクエアのようにゲームを西洋に伝えることを拒む会社に嫌気が差し、ファンは単純に自身の力でファイナルファンタジーⅤをローカライズ。後に精剣伝説3やマザー3のようなRPGで同様のことを行う。彼らは日本語から英語へと脚本を翻訳し、言語を自然なものへと変え、それをゲームに適用させた。


「当時それにどれほどの価値があったかなど、分かりやしません」と、3番目のマザーの翻訳に携わったとして有名なプロローカライザー、クライド・マト・マンデリン氏は語る。


「失われたファイナルファンタジーを英語でプレイ出来るだけでなく、ほとんど公式版と同様のクオリティでプレイすることが出来たのです。当時、ほとんどのファントランスレーションは単純なものでデザインにも限界がありましたが、ファイナルファンタジーⅤのファントランスレーションは、それら全ての先を行っていたのです」。


ファイナルファンタジーⅤ版のゲームを何人の人々がプレイしたかなど分からないが―今では図らずともROMサイトが公開したりしており、一体いくつのダウンロードがあったのかなどは計り知れない―反響は大きかった。


今日、ミリアはたくさんのファンを持つ大きなビデオゲーム会社のエンジニアとして働いているが、ファイナルファンタジーⅤがもしかしたら彼女の最も大きな作品であるかもしれない。「仕事上たくさんの人に会いましたが、彼らは私が翻訳に関わったと知るととても驚きます」と話す。


ミリアはファイナルファンタジーに付けられた番号にある問題にいつ気が付いたのか、正確なところは覚えていないといい、恐らく1996年もしくは1997年だったというが、ファイナルファンタジーⅦの広告を見たときのことを思い出すと言う。「私たちは“え、7?”という感じでした」と彼女は言う。数年前の1994年、スクエアソフトはファイナルファンタジーⅢをスーパー任天堂から発売したのだ。どうすれば3から7になるのだろう?


結局のところ分かったのは、スクエアは北米に手を差し伸べていたのだ。尊敬に足るパブリッシャーは、任天堂エンターテイメントシステムでファイナルファンタジーⅡおよびⅢのローカライズを見送り、つまりファイナルファンタジーⅣが西洋に渡った際、それをファイナルファンタジーⅡとしたのだ。


そして、スクエアはファイナルファンタジーⅤを違う名前で発売することも考えたが、ついに飛ばすことを決めたと、ローカライザー、テッド・ウールジー氏は話す。ファイナルファンタジーⅥに辿り着いたとき、ファイナルファンタジーⅢと呼ぶようにしたと。


これが名前と番号についての全てである。下記を参照にして戴きたい。


ファイナルファンタジー(NES)1987―全世界

ファイナルファンタジーⅡ(NES)1988―日本のみ

ファイナルファンタジーⅢ(NES)1990―日本のみ

ファイナルファンタジーⅣ(NES)1991―ファイナルファンタジーⅡとして米国で公開

ファイナルファンタジーⅤ(SNES)1992―日本のみ

ファイナルファンタジーⅥ(SNES)1994―ファイナルファンタジーⅢとして米国で公開


ミリアはスクエアの可笑しなローカリゼーションのリサーチを始め、やがて非公式ファンプロジェクトへの参加を考えるように。彼女は常にRPGを愛し、そしてファイナルファンタジーⅣ(Ⅱ)の脚本が特にめちゃくちゃであることに気が付いた。「もう一度このゲームをやり直したかったんです」とミリアは言う。「翻訳を見てみると酷い状態でした」


90年代後半のある日、インターネットを見ていたところ、ミリアは同様の志を持ったオタクたち(自身をPRGeと呼ぶ人々)に出会った。IRCチャンネルで付き合いを広げ、彼らは自分たちの好きなRPGゲームについて語り合い、西洋にまで来ていないものの英語翻訳版を製作するという情熱的なプランを掲げていた。


彼女が彼らを見付けたとき、彼らはファイナルファンタジーⅤのローカライズを話していた。ミリアは興味を持ち、自身が考えていたファイナルファンタジーⅣのやり直しはさておくことにしたのだ。ファイナルファンタジーⅤの方が幾らも魅力的に思えた。(なお、J2Eと呼ばれるグループが後にファイナルファンタジーⅣを翻訳し直したが出来はあまり良くなかったと、クライド・マンデリン氏は自身のウェブサイト、Legends of Localization websiteで語った)


ファイナルファンタジーⅤは誰に聞いても素晴らしいという感想が戻ってくる。日本語版ファイナルファンタジーⅤが理解出来る幸運な人々は、間違いない物語性やプレイヤーにユニークなそれぞれのパーティーをカスタマイズさせてくれる、複雑なクラスチェンジシステムなどはプレイしていて楽しかったと語った。これがまた複雑なもので、スクエアが西洋にまで持ってこなかった理由のひとつであるが、RPGファンたちはそんなことは厭わない。


問題は、RPGeが取った方法に問題があったことだ。これは以前に誰も取り組んだことがなかったので、ファントランスレーションに関する知識を持つ人間がひとりもいなかった。RPGeのメンバーたちはファイナルファンタジーⅤの日本語版ROMを探し当て、それを抉じ開けるとテキストファイルの編集を始めた。


しかしこれらのファイルを扱うのは非常に難しかった。ROMにある日本語の台詞を英語に書き換えるとき、ゲームでは上手く表示されなかったりする。日本語は英語とは全く違うからだ。日本語の文字は英語のものよりも大きく、英語で「How are you?」のように12文字使うところでも、日本語では「元気?」と3文字程度となってしまう。ファイナルファンタジーⅤでは会話で使用出来る文字数を日本語で良く見える16としていたが、英語にするとごちゃごちゃしていて見づらくなってしまうのだ。


彼らがしなければならなかったことは、テキストファイルの編集だけでなく、ファイナルファンタジーⅤ自体がこれらのテキストファイルを扱うために使用していたコードまで編集しなければならないということに、ミリアは気が付いた。


「彼らは間違ったアプローチ法を実行していると感じました」と彼女は話す。「これが私のROMハッキングコミュニティーに関する洞察である。ゲームデータを変えるためでなく、効果的な翻訳を製作するためには、コードまでも変えなければならない」と。


日本版ゲームを英語版へとローカライズし読み込めるようにするため、ミリアはゲームを再度プログラミングしなければならないと決めた。ファイナルファンタジーⅤに日本語の文字サイズとは違う英語のものを覚えさせなければならない。さらにゲームには、1つのダイアログに対しもっと多くの英語を読み込んでもらわなければならないのだ。


ミリア(当時のハンドルネームはバルバリーであった)は、オンラインで出会った日英翻訳家のSoM2freakと話し合いを始め、残りのRPGeから分裂することを考えた。1997年中旬までには、彼らだけでファイナルファンタジーⅤの翻訳をするプランを練っていた。


「何をしているか分からない人たちのことは無視することに決めました」と彼女は言う。「私たちはRPGeの中で、自分たちのサブグループを始めることにしました。何故なら彼らにこれをすることは出来ないと感じたからです」


1997年の夏、カリフォルニアのアーバインは記録的な暑さで、ミリアは外に行くことに興味を持てなかった。彼女はちょうど高校2年生を終えたばかりで、その他自尊心のある高校生と同様にROMコードを解体することで夏を過ごそうと考えていた。ビデオゲームのリミックスや古いCDを聞いたりして、彼女は独学でファイナルファンタジーⅤの内部構造を勉強した。彼女の部屋には、機能性のあまり良くはないIntel486のパソコンがあるだけだったため、ゲームのテストをする際には下へ下りて父親のPetiumを使わなければならなかった。やはり、486はエミュレーターにはなれなかったようだ。


SoM2freakが日本語のダイアログを英語へと翻訳をし、ミリアはそれらをゲームに打ち込む最適な方法を探した。ファイナルファンタジーⅤのコードを分解させるためのディスアセンブラをダウンロードし、それらを解体するためにはXTree Goldと呼ばれる特殊なマネジメントプログラムが必要だった。


それから彼女はどのコードがどんな役割を果たしているか見分けるため、トライアルやエラーを用い、変数を変え始めた。「これらに関するリファレンスは全くありませんでした」とマリアは話す。「どうすれば良いか、何となく分かっただけなんです」


それぞれのファイルの分解はこのようになっている。


このスナップショットはファイナルファンタジーⅤのダイアログを編成するのに使われていたコードである。このゲームは日本語の文字は全て12ピクセルのサイズで出来ており、このコードがそれぞれのダイアログボックスで文字を作成、それから見えないカーソルを13ピクセル右へと動かし、新しい文字を作る…など。


サイズ感の変わる英語の文字にあ、ミリアはまた別のアプローチを見つけなければならなかった。「英語翻訳のため、このコードを改変するのに自然的なソリューションは、どの文字が埋もれてしまっているかを根本に置き、右へと動かすカーソルの量を変えることでした」とミリアは言う。「私はこのコードを自分で付け足した別のコードへと“ジャンプ”するものと置き換えました」


ミリアは自身の夏全てを、このコードに関する問題へ取り組むことに捧げた。それまでのファントランスレーターたちはコード分解やダイアログを変えようなどとは思ってもおらず、しかしながらそれはもしかしたらミリアのような情熱を持っていなかっただけかもしれない。


彼女は「この多くはもううんざりでした」と語る。「このうち多くはROMに何が起きているのかを探るため(エミュレーター)SNES9xや16進ダンプ、ダンプを集めることに何時間もの時間を費やしました。ただこのデバグをテキストからなくすためだけに」


プロジェクトの遂行中、彼らはオオムロ“ハーモニー7”カツユキを新たな編集者として招いた。彼はミリアの学校の上級生だった。オオムロはSoM2freakの翻訳は間違いだらけだと指摘。SoM2freakは若く、そして日本語ネイティブではなかったので、オオッムロは次にSoM2freakが行ったスクリプトを見直す作業に入った。この決定にストレスを受け、SoM2freakはグループを抜けた。しかし彼は後に更なる大きなRPG(ファイナルファンタジーⅢや精剣伝説3)の翻訳に携わることとなる。


もしかすると、チーム内で最も大きな決定となったのは、主人公の名前だったかもしれない。スクエアエニックスに訊ねれば、きっとファイナルファンタジーⅤのスターはバーツと呼ばれるキャラクターだと答えられただろう。しかし、ファントランスレーションをプレイすると、違う名前を見ることになる。


これは何年にも渡り笑いの標的にされてきたものであるが、最も正確な翻訳である。日本語では「バッツ」なのだ。「日本には、例えばストラテジーガイドのような資料があります。また、それには“バッツ”という名前が記されているのです」と彼女は言う。「それに忠実翻訳することにしました」と。


夏から秋に変わり、ミリアはファントランスレーションの仕事を終え、コピーアンドペーストに時間を割くことになった。それから残りを、全てのスクリプトを見直すとのプランを立てたオオムロに託した。


RPGeの他グループはそれぞれの翻訳を早々に諦め、ミリアのクルーにその全てを任せていた。しかし1997年10月、誰か(もしくは複数人)がファントランスレーションの早期版をジオシティーズのウェブサイトに手渡し、自身の功績を訴えた。問題を正すべく、オオムロとミリアは、終える間近ではあったもももオオムロが納得するほど磨き上げられてはいなかった自分たちのものを公開しなければならなくなった。


1997年10月17日、マリアやクルーは“ボリューム96”を公開。これは急速に広まり、RPGのファンたちを今までになかった新しいファイナルファンタジーがあるとして、IRCチャンネルやメッセージボードを騒がせた。SNESのエミュレーターはかなりラフなものであったが、操作するには難し過ぎない程度だった。ファイナルファンタジーⅤのコピーは、Readmeファイルに書いてあるシンプルなインストラクションに従えば簡単に手に入れることが出来た。「このゲームはものすごい広がりを見せました」とミリアは話す。「すぐにエミュレーションコミュニティーから報せが届き、すると人々はプレイし始めたのです。私たちが何かをする必要はありませんでした」と。


オオムロは更にその後数ヶ月を、スクリプトの編集とそれに磨きをかけることに費やした。そして1998年6月、彼らは“公式”ファイナルファンタジーⅤパッチを公開。当時、これは改革的だと思われ、今日でもなお、ゲーミング業界では最高のファントランスレーションだと考えられている。


ファイナルファンタジーⅤのトランスレーションに費やした努力は、それからのファントランスレーションの基準になっていると思います」とローカリゼーションの専門家であるマンデリン氏は語る。ファイナルファンタジーⅤを見たなら、将来のファントランスレーターはもう、英語でゲームをしたいのであればコードから編集しなければならないと知っている。


「彼らがどうやってそれが出来たのか私は今でも分かりません―当時エミュレーションはまだ未熟で、ROMのハッキングツールやノウハウもまだ基本的には存在していなかったと言って良いでしょう」とマンデリン氏。


「まるで未来から、ファイナルファンタジーⅤのトランスレーションパッチが運ばれてきたかのようでした。私はそもそも、エミュレーションを小さな楽しみとしてしか考えていませんでしたが、このパッチが公開されてからというもの、エミュレーションが何を提供するのかということに気付かされたのです。私の好奇心は害されましたーまずこのトランスレーションパッチがどのように出来ているのかを調べなければなりませんでした。すぐに、私はプログラミングや翻訳を始めました。これが数年後、私のプロとしてのトランスレーターのキャリアへと繋がっています。そういう意味では、ファイナルファンタジーⅤのファントランスレーションは公式版が決して出来なかった働きをしてくれたと思うのです」と話す。


スクエアソフトはこれに関して一度もRPGeに連絡を取ることはなかったとミリアは語る。しかし1999年9月、公式の英語版ファイナルファンタジーⅤが北米へとやって来た。しかし、これは(PS1版でファイナルファンタジーアンソロジー)は、英語がしっちゃかめっちゃかとなっていた。


「ものすごく笑いました」とミリアは言う。「翻訳が最悪だったんです。私たちはまさに、“オッケー、たかだか高校生が4ヶ月程度でスクエアよりも良い仕事をしたみたいね。彼らはきっと最低でも1年以上は掛けているに違いないわ”って、すごく笑っていましたね」


2006年にゲームボーイアドバンスのファイナルファンタジーⅤ:アドバンスがスクエアから発売され、これは何とか形になっているという感じだった。尤も、主人公の名前はバーツのままだったが。


「ゲームボーイアドバンス版が公開されたとき、私は“ああ、ついに負けたわ”と思いました」とミリアは言う。「ここまでに8年。でもついに彼らは私たちのものよりも良いものを作り上げたのです」と。


ファイナルファンタジーⅤの後、ミリアはPS1のハッキング、逆行分析へとのめり込んだ。そうすることで彼女は自分なりにコードを書き換え、壁を擦り抜けられるなどのチートをする。その全過程は、ミリアがビデオゲーム業界へ足を踏み入れるのに役立った。今日まで、彼女はファイナルファンタジーⅤを履歴書にも書き記し、このプロジェクト無しに逆行分析を学ぶことはなかっただろうと話す。


「現在、私はたくさんの人たちに出会います」とミリア。「彼らは私に色々と質問をしますが、私は“ああ、うん。20年前に手がけた翻訳に関する主張があるとするなら…まだあれをプレイしたことがある人がこんなにもいるということに驚いている、ということですね」



■引用元



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海外の反応


・ああ、あれは確かに最高のトランスレーションだったさ! 間違いないね!






・90年代にダウンロードしたROMをフロッピーに入れ替えたりしていたのを思い出すね…。






・確かに当時は一番そういうので盛り上がってる時期だった!






・XTGoldは最高だったね! 僕の初めてのウインドウエクスプローラーだったよ。






・スクエアが頑張って翻訳出来る人を探してる理由って、こういうこともあるのかもしれないな。






・私は彼女のグループのファンだったひとりなの! 今までプレイしたゲームの中で、一番良かったって今でも思っているわ。






・任天堂には迷惑だっただろうね!(笑)






・ちなみに僕はPS1バージョンの方が好きだったよ!






・これが出たの私が高校生のときだったな。良くやった!






・バッツか…懐かしいなあ。もう随分と前の話だね。






・本当に良い時代だった。今のあの盛り上がりを取り戻すようなことがあればいいのに。






・自分がこの世代に生まれて良かったとすら思える出来事だね。






・僕がこれをプレイしたときまだ15歳だったなあ。僕の中では、人生の中で最も愛すべき時期のひとつだよ。






・すごいね。きっと頭が良かったんだろうなあ。






・僕たちの人生にはまさにこんなようなものがもっと必要さ! その方がきっと楽しいものね。



ひとこと


今となっては違法なものとして認識されていますが、当時はアングラで割とこういうことが行われていたように思えます


スクエアが何も言ってこなかったのは、市場調査費用を払うことなく海外での需要の高さに気付かせてくれたからかもしれません



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