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概要


日本人の先駆者Phewが20年ぶりに初ソロアルバムと共に復活


ここ2年は、日本のアーティストPhewのファンにとって、とても嬉しい時間でした。彼女は2枚のフルアルバムをリリースしたのです。一つは、2015年のA New World。


もう一つはニューヨークレーベルMersha-Keyからこの3月に出したエキセントリックなLight Sleepです。


これはあの、必然的に姿を消したPhew(本名もりたに・ひろみ)ではありません。


過去20年、彼女はさまざまなミュージシャンとコラボをしてきました。パンク・ロックバンドMostを従えて、日本中で演奏をしてきました。


最近では、地元の音楽メディアが、Phewに対して高く評価をするようになり、彼女が過去40年間作ってきたアルバムはレコード店から無くなってしまい、ベストのコーナーにもほとんど置かれなくなりました。


彼女は日本の雑誌Snoozerの日本のロックンロール・ベスト150の35位に選ばれ、アルバムの2つは、90年代音楽雑誌の日本のベストアルバムに選ばれています。


高くなっていく評判にも関わらず、Phewは2014年にLight Sleepをレコーディングするまで、ソロでリリースを全くしませんでした。“家で、気楽に録音をしたわ”Light Sleepについて、彼女はこう話しています。“私の考えや感じていることが曲にそのまま反映されたのよ”。


6曲セットのLight Sleepには、彼女の率直さがよく表れており、いくつにはとても個人的なことが歌われています。


そういった親密さは、時に緊張を感じさせます;彼女はアナログシンセサイザーとビンテージリズムボックスを使わずに音楽を作ります。そして、ひと昔前の恐怖をあおるような音楽を作りだすのです。


いつも通り、彼女の声は予測不能で、支配的であり、そしてそれこそは彼女の音楽なのです。心をかき乱す“A New World”から半狂乱の“CQ Tokyo”が並んでいます。


“Light Sleepの曲は、A New Worldのためのスケッチのようだ”彼女のソロアーティストとしての復帰作である、2015年のアルバムについて、彼女はこう話しています。


よりたくましくて強いサウンドのA New Worldと比べて、Light Sleepは希薄で率直さを感じます。“とても小さな部屋でレコーディングをしたの”Phewは言います。


“電車のコンパートメント席くらいのサイズの部屋よ。そして、全然片付いていないの。でも、アイディアを思いついたら、すぐにレコーディングを始めることができたのよ。”


“この作品には親密さがあるけれど、それが単純に家でレコーディングを行ったからという理由ではないと思う”Mesh-Keyの創設者であるジャスティン・シモンは言います。


“家のコンピューターでごちゃごちゃした楽曲を200曲レコーディングすることは誰にでもできるよ。けれど、Phewは、抑制的で、人の心を捉えてしまう巧みさを持ち、余分なものがそぎ落とされた音とリズムで、完璧な楽曲を作っているんだ。”


この繊細な複雑さは、長くPhewの音楽の中心であり続けている。大阪に生まれた彼女はセックスピストルズに影響され、ティーンの頃にアーント・サリーというパンクバンドを結成しました。


アーント・サリーでの活動は短く、解散前に1つアルバムをリリースしただけでした。1980年に彼女はPhewとしてのデビューシングル“終曲/うらはら”をレコーディングしました。


これは、坂本龍一プロデュースの作品です。A面は、Phewの不満げな歌声と共に、むずむずするような、お祭り前のようなシャッフルで、角がとれたような仕上がりとなっています。


有名なプロデューサーであるコニー・プランク、カンのホルガ―・シューカイとヤキ・リーベツアイトと共にドイツでレコーディングされたアルバム“Phew”においても、彼女は同様のスタイルを探求しています。


このアルバムで、彼女は彼女の声を、音楽の焦点として使うという新しい方向性を開拓しました。Phewをリリースした後、彼女は音楽をたくさんリリースすることから抜け出し、たまに出現する存在となりました。彼女が戻ってくるたび、その生み出す音楽は魅力的で1992年のOur Likenessから1995年のひみつのナイフまで、すがすがしいサウンドが並びました。


“私が最初にPhewを聞いたのは1997年”シモンは言います。“彼女が歌いだした瞬間、魔法にかけられた。パワフルでユニークな声以上に、彼女は人を惹きつける存在だった。


それは、とても打ちのめされるような体験だったよ。翌年東京に引っ越した後、それから5年間は彼女のショーにまるで宗教のように参加しつづけ、それらをミニディスクに録音したよ。”


2人は知り合いとなり、シモンがニューヨークへ戻った後も、Eメールでやり取りを続けました。PhewはMostというパンクグループを山本と共に結成し、カバーソングの入ったアルバムをリリースしました。


この時期、オリジナルの曲は生み出されませんでした。彼女の様々なバンドプロジェクトは、他のバンドメンバーのスケジュールの予定をやりくりするが難しくなり、ソロとして活動することを決めました。コルグやエーストーンリズムボックスのような、いろいろな種類の古くからの楽器を習得し、仕事にかかりました。


“もしもその音が必要であれば、その楽器を使うわ。古くても、新しくてもね。”“音楽を作るのに、主に自分の声を使うの。だから、結果として、よりアナログな楽器を選んでしまうわね。”Phewはそう話します。


日本のレーベル・フェリシティからリリースされたA New Worldの一曲目はLight Sleepとなりました。そのアルバムの“スケッチ”はPhewのコンサートの時だけに売られた3枚のCDのシリーズの一曲となったのです。


彼女はそれらをシモンに送りました。“これらの楽曲の希薄さが大好きだ、そしてこれらの曲が、いかにその幅を広げていることか。”シモンは話します。“東京のレコーディングエンジニアの友人によれば、Phewの声の質は、粗削りな電子音と非常にマッチしているそうだ。僕はその通りだと思うよ。”


Light Sleepの特筆すべきところは、この2017年にあった音楽だ、ということです。


このアルバムの曲は、恐怖の感覚がすべてを覆っています。特に、長めの曲ではそれが明確です。“私が家でレコーディングをしている間、音楽は私の避難所になりうる 。


けれども、私がいったん曲をリリースしてしまうと、その音楽は社会とは無関係ではいられなくなるの。”Phewはこう話します。“世界は決して平和にならない。


でも、私が音楽を始めた1978年には大地震も原子力事故もなかった。”2011年の東日本大震災と津波、そしてその後に起きた福島第一原発事故、それらはいまも国を重たく覆っている。“こういった時代に自身の世界を閉じるのは、とても簡単なことよ。”

 



■引用元



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海外の反応


・彼女の曲を聞いた時・・・心が震えたよ。





・Phewのアルバム全部持っているよ。いつもではないけれど、そういうムードの時、彼女は最高だ。





・俺の持ってるテープは全部倉庫の中だし、荷物の山の下にあるはず・・・だから、ネットで彼女のビデオを見つけたよ。やっぱり、いい!!





・音がとても強くて、抽象的だ。最高にかっこいい、好きだな。俺のライブラリーに入れないと。





・最高だー!!!これを俺に教えてくれて、ありがとう!!!記事に感謝!





・まじで2年前にアルバム出してたの??知らなかったよー!!





・これを聞くと、すごく幸せになるよ!





・めちゃくちゃ、いい!!知らなかった自分を恥じたいくらいさ





・いままで聞いたことなかったよー。





・おおおお!3日前に聞いたところだよ!!!





・彼女は最高に魅力的だよ。





・どこがいいの?聞いてたら、寝ちゃったよ。





・“ひゅー、ほっとした”なんちゃって(笑)





・これがいいの?俺にはわからないなあ。





・まじで、誰なの??今まで聞いたことなかった。





・これは、まじで、相当、最高!!





・なんでこれまで彼女の音楽を聞いたことがなかったんだ!??最高に、俺の好みじゃん!!



ひとこと


RADIO HEAD の「KID A」に似てると思ったのは私だけでしょうか?


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