4th5h563h3555j



SPONSORED LINK 



概要


三菱の歴史を暴く・手紙に綴られたスタリオン


ニュージーランドクラシックカーマガジンで見られる外国車の継続的な流行は我々にとって夢中になるものではないが、ひとつだけ特に魅力的で、また日本のクラシックカーに対する尊敬を集めている流れがある。我々がこの8月に発行するものでも、その件に関したページが大部分を占めることになる。


さて、購読者でもあるDiptonのEwen Dunnageから届いた、彼の妻の20年以上も乗ってきた愛車、シルバーとバーガンディの1982三菱・スタリオンGSRⅢに関しての便りを共有しようと思う。


10年間続けたデイリードライバーとしての生活を終えたあと、スタリオンは3年前まで車庫にしまわれっぱなしだった。その車は最初のうちはどうでもいいものとして認識していたが、妻が車を元に戻したい旨を強く訴えたとき、Ewenは目が醒める思いだった。


4w34h356h635h56j
 


彼はプランを立て、クリスマスサプライズのために彼女には秘密でそれを実行したのだ。Ewenによると、美しく作り直されたスタリオンは彼女にうれし泣きをさせ、そして充分なほどの評価をくれたという。


彼とその妻はすでに熱心なクラシックカーファンであった;ジャガーXJS V12コンバーティブル、フォードゾディアックMk4、モリスユートやスリーローバーSD1sもすでに彼らの誇りとなっている。


これらの素晴らしい記録に加えてスタリオンに関し、Ewenは手紙の中で日本のクラシックがどれほどの保険を受けられるのかについて嘆いていた。


週刊モーターフィックスの今週号で取り上げた1983三菱・コルディアに次いで、最近議論を広げた2番目の日本のクラシック、三菱・スタリオンを見つめ返す良い機会なのだろう。


三菱・スタリオンは活動する中で、たくさんのことをしてくれた。だからそれが余計、その名前に隠された物語が主なクレームとして知られていることを幾らか可哀想に思わせるのだ。


長きに渡り三菱は「スタリオン(Starion)」の名前が「オリオンの星」をシンプルに繋ぎ合わせただけとして討論を繰り広げてきたが、ジャーナリストや専門家たちはこれは日本のエンジニアと国際マーケティングチームの間で起きた誤解による結果なのではないかと信じてきた。本来はフォード・マスタングからのバーバル・インスピレーションを引こうと「スタリオン(Stallion)」と名付けようとしていたのではないかというのだ。


何故このどうでもいいような「スタリオン(Stallion)」の失敗について注目されるのかというと、1982年に販売開始された「スタリオン(Starion)」の名前がとても売れたからである。後輪駆動でターボチャージ付、スタリオンは現在の三菱が多産している4G6/4D6パワープラントの1バージョンを見せ付けた初の車のひとつ。これは後に三菱の称賛に価するランサーエボリューションの定番となった。


それが気付かれないわけもなく、よく主なライバル、マツダ、日産、トヨタの隣に並べられた。アメリカのカーマガジン、カー・アンド・ドライブは一度、それを「洗練されたドライバーの車」として表現した。鋭いターボセットアップや「山のエース」として称賛したのだ。


スタリオンは三菱がモータースポーツへのフォーカスを増強している時期に出現した。確かに、三菱の工場ラリーアートのオペレーションは同時期に落ち着き始めた。


スタリオンはそれらのWRCやサーキットレースなどで使用されるモータースポーツが実験されていたような時期に実現されている。悲しいことに、スタリオンはそのたくさんの評判からファンがいるという事実は改めて確かめたが、三菱に大きな成功は与えなかった。


4g435h3h35h65yg d
 


ターボチャージ搭載の4×4、350hp、グループBWRCイテレーションは危険なフォーミュラとして悪名高くなり終焉を迎え、続く完成しきっていないグループAはWRCでは良い成果を残さなかった―ただしその両方がその他ディビジョンで競ってはいた。


サーキットレースの時代もまた、失われた機会となった。BTCC、DTM、ATCCで競うということは、スタリオンにとってグループA式の車体(ローバーSD1やボルボ24OTなど)など、嘗ての車にとって単なる試合以上の意味があった。しかしそれはすぐに他の車によって追い越されることとなり、グループAの車(フォードシエラRS500コスワースなど)も終焉を迎えた。


ゲリー・スコット、ナカヤ・アキヒコ、そしてジョン・フレンチの管理下にあった1987バサースト1000では5位という最高の記録を残している。


間違いなく、スタリオンが最高の影響をもたらしたのは、のちの1987年にクライスラー・コンクエストと改名されて市場にも出ることとなった場所、アメリカだろう。


この動きは三菱とクライスラーによって結ばれた契約である―のちに三菱が15%の株を1970年に購入している。クライスラーの名を相続するにあたり、コンパクトでスポーティーなスタリオンは過去のブランド価値を切り離すために助力し、300の早期エディションのような大きくて四角いプラットフォームに基づき、クライスラーは多次元のブランドへと成長した。

g4525454hh363
 


1992年、スタリオンは最終切符を手に入れ、エクリプスやGTOなどの車によって取って替わることとなった。スタリオンあたりから始まったこの動きのほとんどは、実現されている―ラリーアートは1996~1999年のWRCタイトルを続けざまに獲得し、素晴らしい12ダカールラリーも同様である。


スタリオンは三菱の過去を語る上で忘れられないものであるかもしれないが、イーウェンのショーのように素晴らしい努力が見られるものもある。スタリオンはクラシックとなるであろうことを覚えておいてほしい。


■引用元
1


SPONSORED LINK 


海外の反応


・昔GS2とGS3を持ってたよ。当時はすごく素早い車だったな。悲しいことにモーターが弱くて壊れちゃったんだけどね。両方とも…。






・↑ ああ、確かに君がターボ1を持ってるって当時言ってたのを覚えてるよ。






・ほとんどの80年代のターボは無理させるとすぐ壊れるっていうのが本音かな。






・昔この中の1つを持ってたよ! トップスピードさ。






・昔の三菱は良かったなあ。






・忘れ去られた兵士たちね!






・今、彼らの評価はちょっと低過ぎる気がするなあ。






・フェアじゃないから言っておくと、もしかすると三菱は当時ランサーエボリューションの開発とかに努力を集中させてたんじゃないかなと思うよ。






・最後のやつは最強だったね! 4G63 2.0、素晴らしいインジェクションに大きなターボ、ピストンも改良されてた。これが僕のだよ。






・↑ ジャッキー・チェーンが出演してるキャノンボール・ランみたいだ。






・↑ すごく格好良いね! 白い車体にライトが出ててロボットみたい。






・僕のはもう12年間も使ってるやつだけど、とても重たいモードなんだ。だけどもう何年も問題は起こしてないよ。






・昔GSR3を持ってたよ。古いドリフターだね…。






・僕も古いやつ持ってるけど最高に愛してるよ!






・車の話題ってどうしてこんなにもわくわくするんだろう。僕も所有してるやつを今大事にしているよ。



ひとこと


バック・トゥ・ザ・フューチャーに出てくるデロリアンに似てますね



SPONSORED LINK 


SPONSORED LINK