概要
日本アーケードゲームの先駆者、パックマンの父が逝去
パックマンの父で親しまれていた中村雅哉は1月22日に91歳でこの世を去りました。中村氏は、1955年にナムコ(バンダイナムコの一部)を設立しデパートの上に2つの馬車の機械の作成から始まり、アーケードゲームを開拓とアミューズメント施設を手掛けました。
スペースインベーダーが流行っていた当時、ナムコのエンジニア兼ゲーム開発者であっただった岩谷徹氏は、パックマンをデザインし1980年に販売された。その勇敢で丸くて大きな口の黄色いキャラクターは大ヒットしました。
パックマンのデザインは、一枚スライスがとられた状態のピザから来たとのことです。中村氏は日本語で餌を食べる時のパクパクという音からパックと名づけたと答えました。
2015年ニューヨークで行われた「ピクセル」のプレミアショーのレッドカーペットで岩谷氏は「パックマンは数十のかわいいキャラクターがいるわかりやすいゲームです。なのでこれほど長い間人々に愛されてきたと思います」と言いました。
中村氏はナムコのグローバルな成長のカギとなる人でした。「ナムコは多彩で総合的なエンターテイメントを提供する」が彼の口癖でした。遊びを仕事にするいうことにプライドを持っていました。
会社は中村氏の訃報を伝えましたが、死因は伏せられています。葬儀と告別式は近親者で行われ、後日「お別れの会」を予定しているとバンダイナムコは伝えました。
■引用元
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海外の反応
・パックマン、ピクセルに出てたよね!!子供のころの楽しくて幸せな時間をありがとう!
・世界のゲームに貢献してくれてありがとう。あなたがいなければ僕の子供時代はこれほど素晴らしくなかったよ。安らかに眠ってください。
・僕もパックマンをして、僕の子供もパックマンで遊ばせてもらったよ。このゲームが大好きだよ。
・私パックマンとても下手だったわ。ご冥福をお祈りします。
・中村雅哉さんさようなら。あなたのせいではないけど、僕パックマンで一度も勝てた記憶がないよ笑。
・子供のころにピザハットでパックマンをゲーム台でしたのを覚えてるよ!
・頭をかきむしりながらこのゲームをしたのを覚えている。さようなら!安らかに眠ってね。
・小さいときのお気に入りのゲームだ!何時間も楽しませてもらった!家族でも楽しめるゲームだよ!
・革命的でこれからもずっと彼の発明は生き続けるよ。
・思い出をありがとう。
・悲しいね。このゲームとともに育ったよ。素晴らしい方だった。ありがとう。
・僕の息子がパックマンゲーム大好きだよ。偉大な方がいなくなってしまった。ご冥福をお祈りします。
・私今でもパックマンで遊ぶよ。大好き!
・ビデオゲームの中でパックマンが一番最高だったよ。
・素晴らしいゲームだったよ。彼の家族と知り合いの方へ祈りが届きますように。
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コメント
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